決意から出発まで
出発までの主な出来事
11月19日(月) | 第1回目のメンバー集まり |
12月09日(日) | 参加者とその保護者に対する説明会 |
12月から | ALTによる英会話教室と出し物決定 |
12月27日(木) | パスポート申請 |
01月10日(木) | パスポート取得 |
1月から | 出し物(よさこいソーラン)練習 |
03月05日(水) | スーツケースを関西空港に送る |
03月06日(木) | 理事長室にて出発の挨拶 |
決意
13人のメンバー
僅かな期間で進められた準備
2人のパートナー
劣等感と確かなる自信
決意
学校が主催する「カナダ・ホームステイプログラム」への参加を決意したのは、確か2007年8月頃のことだった。
この決意には、今まで「行ってみれば?」と冗談で言っていた親も驚いていてようだ。
今思えば、決意した理由はよく分からない。
ただなんとなく行ってみたいなと思っただけだったのかもしれない。
しかし、そんな軽い気持ちで決意できるようなことではない。
心のどこかで、「視野を広げてみたい」とか、「自分を変えたい」とか思っていたのかな。
それとも、どういうことなのかよく分からずに決意するような単なる馬鹿だったのか。
とにかく、この夏、俺はカナダに行くことに決めた。
何かを変えるために・・・。
何が変わるかは分からない。
何も変わらないかもしれない。
だけど、密かに「可能性」というものに賭けていたのかもしれない。
13人のメンバー
11月、今年度の「カナダ・ホームステイプログラム」の参加者が決定した。
もしかすると変更があるかもしれないということだが、結局3月までこのメンバーは変わらなかった。
全て1年生で、男子6人女子5人の合計11人。例年より人数が少ないらしい。
ただ、同じクラスの奴が他にも2人いるし、他のクラスの奴にも1人仲の良い奴がいるので、その点は安心だ。
人間不信の俺にとって、仲良しの人間がいないというのは酷だから・・・。
問題は女子である。女子は5人いるが、喋ったことのある奴は一人もいない。
というか、高校に入ってからまともに女子と喋ったことがないような男だ。
しかもこの5人の中に同じ中学出身という奴はいないし、同じクラスの奴もいないので、よけいにやりにくい。
まあ、人間不信である以上に女不信であるので、女なんかずっと無視すりゃいいと思っていた。
なお、参加するメンバーは全員、日本に来るカナダ人の受け入れをしなければならないという。
最初、家庭の事情でそれは断ろうと思っていたのだが、「行くからには受け入れてもらいたい」と先生に言われたので
結局受け入れることにした。
カナダ・ホームステイに参加し、なおかつ日本に来たカナダ人を受け入れられる人が、この11人なのである。
11月19日、出発まであと4ヶ月を切った頃、メンバーによる第1回目の集まりがあった。
同じクラスの奴等と一緒に、集まりの会場である小さな会議室に行った。
我々が到着した時には既に何人かいて、とりあえず椅子に座り、その後も何人かやって来た。
そして、全員が来た頃、驚くべき人が会議室に入ってきた。
S先生・・・
S先生とは、隣のクラスの担任で、うちのクラスでも理科を教えている男の先生だ。
化学というややこしい教科だが、分かりやすい授業で定評のある先生である。
どうやら、彼が引率の先生らしい。
まあ、隣のクラスの人間は11人中5人を占めるわけだから・・・。
もし、うちのクラスから行く人がもっと多ければ、うちの担任が引率教諭になっていたかもしれない。
そしてもう一人、授業では無関係の先生だが、英語のY先生という女の先生も引率教諭となった。
S先生はカナダの引率教諭となるのは初めてで、英語も初心者レベルなのに対し
彼女は国際交流室の先生で英会話部の顧問でもあるし、なんと言っても10年前にカナダに行っている人だから
S先生にとっても我々にとっても安心できる存在だ。
S先生とY先生、どちらもあまりお若くはないが、頼りがいのありそうな2人で良かった。
生徒11人(男6人、女5人)と先生2人(男1人、女1人)。
この13人が来年の3月、カナダに行くメンバーとなる。
僅かな期間で進められた準備
それからの約4ヶ月間、出発に向けた準備が進められた。
英語ぺらぺらでなくてもなんとかなるとは言うが、それでもある程度の英語は身につけなくてはならないので
毎週月曜日と金曜日に会議室や講義室などに集まり、ALTによる英会話教室が行われた。
この英会話教室では、日常的な英会話の他
対話の練習や伝言ゲームなどをしたり、カナダのお金を見せてもらったり、楽しい時間を過ごしていた。
また、カナダの学校などで何か出し物を披露するらしいので、その出し物を何にするか話し合われた。
「合唱」という案も出たが、音楽科の先生にはっきりと「11人で合唱は無理」と言われてしまう。
11人という少ない人数で盛り上がれるもの・・・いろいろ考えた結果、「よさこい」に決定した。
もっとも、考えたのはほとんど女子だったが・・・。
「よさこい」に決定してもなお、「アルゴリズム体操は日本の文化だよな!」などと言っている低レベルな俺がいた。
年が明けた頃から「よさこいソーラン」の練習が始まった。
You Tubeで踊るやつを見せてもらったが、どうにもこうにも見覚えがある。
そういえば小4の時、通っている小学校が創立100周年を迎えて、その年の運動会はそれを記念した大運動会となり
様々な特別種目が行われたが、そのうちのひとつに、5,6年生による「ロックソーラン」というものがあった。
当時は「すごいなぁ」と思って見ていたが、これから我々がやるのはそれと全く同じものだった。
あの頃憧れていたあの踊りを、あれから7年近く経つ今、踊ることになるなんて・・・。何故か感激だった。
あと2ヶ月だけなので急ピッチに進められるところだが、実際のところ「本当にこれで間に合うのか?」というペースだった。
7年前は見て真似などもしていたのだが、今やってみると想像以上に難しいことが分かる。
特に、足腰の硬い人間にはちょっと厳しいような踊りだ。
この文章を書いている今から思えば、あの状況から「なんとかなった」ことがとても不思議である。
最初はとにかく踊りを覚えることを重点に置いて練習。
その部分で俺は少々後れをとってしまう。
そして全員が踊りに慣れてきたら、並び方を決めたりフォーメーションを決めたりして本番の動きを考え
最後の何回かは、「かけ声係」となったK君を中心に全員がかけ声を出して、本番の予行を行ったりした。
かけ声は英語にするべきか日本語にするべきかという議論もあったが
「日本の文化を紹介しているんだから日本語でいいだろう」ということで、日本語になった。
踊りが終了した後の「気をつけ、礼」も日本でお馴染みの号令。
踊りの前に代表のK君が一言喋る時以外は全て日本語で・・・。
ところが、最後の練習となった3月5日、その号令でとんでもないことが起こった。
2ヶ月前はボロボロだった11人が、見違えるように上達し、フォーメーションもかけ声もばっちり。
「もうこれで心配はないだろう」と思うような演技を見せ、最後の「決め」もビシッと決まったのだが・・・
その後、かけ声係のK君がとんでもないことを言い出したために、これまでの雰囲気が一気に崩れてしまった。
「起立!」
その瞬間、他の10人がずっこけ、せっかくの雰囲気が台無しとなった。
先生もメンバーも笑いが止まらない。これは思わぬアクシデントだった。
まだどういう状況か分かっていない人のために・・・
当然だと思うが、踊りの「決め」のポーズでまさか「着席」しているようなことはないだろう。
ちなみにK君は学級会長を務めていて、いつも授業の最初と最後に「起立、気をつけ、礼」の号令をかけている。
おそらく、いつもの癖でこうなってしまったのだろう。
とにかく、今でもあの瞬間のことを思い出すと笑いが止まらなってしまうようなアクシデントだった。
2人のパートナー
少し話は戻って2007年12月4日。とある1通のメールが届いた。
「送信者名」の部分が文字化けしていて、文面が英語。
すぐに「迷惑メールだな」と思って削除しようとしたが
よく見ると、文面の一番最初に俺の名前がローマ字で書かれている。
そして、読めない英文を適当に読んでいくと、「Canada Saskatoon」という文字が見つかった。
サスカトゥーン(Saskatoon)とは、カナダ内陸部にあるサスカチュワン州の都市で、我々がホームステイに行くところである。
その他、我々の高校の名前がローマ字で書かれていたりもした。
「迷惑メール」だと思い、危うく削除しかけたこのメールは、カナダの高校生からのものだった。
この彼がカナダでのパートナー、つまりホストファミリーとなることになるが
パートナーからメールが来たのはどうやら俺が一番早かったらしい。
12月9日の午後、参加生徒と保護者に対する説明会が行われた時に
先生が「向こうの生徒からメールが来ると思いますが・・・」と言っていたので
「もう来ました」と言ったら「もう来たの!?」と言われたわけだから・・・。
しかし、メールの英文を訳すことはできたが、自分で英文を作ることができなかったので
そのメールを10日も放置してしまい、ついには同じ文面のものがもう1通来てしまった。
慌てた俺はY先生に頼み、「今日だけだよ」と言われながらも英文を作ってもらった。
でも、今日だけか・・・。
しかも、パートナーがとても積極的で、次の日には返事が来てしまう。
消極的な俺は、その返事も返せないままでいた。
「何で向こうの言語に合わせなきゃいけないんだよ」という疑問をもらす人もいたが
日本語のメールが届いた人もいた。あのK君である。
「何でてめぇだけ日本語なんだよ!」という気持ちにもなるが、仕方がない。
後日、カナダでのパートナーのプロフィールが配られた。
日本語でメールを送ってきてもらい、よさこいのかけ声係にもなるK君がそれを見て何やら騒いでいる。
「この家庭気まずい。両親の名字が違うよ・・・」
何を騒いでいるのやら。俺のところだって名字、つまりファミリーネームが違う。
「夫婦別姓が認められている国」だと考察ができないのか。
そんなことより、メールをもらった時から気になっていたことがあるのだが
パートナーのファミリーネームが中国人みたい、というか中国人の名前なのである。
ファーストネームは欧米っぽいのだが・・・。
メールボックスに表示されている送信者名は文字化けしているが
メールに表示されている送信者名には、パートナーの名前が漢字で当て字されているようなものが表示されている。
それに、メールの一番下に貼られていたリンクは、中国語で書かれていた。
そう、間違いなく中国系の人なのである。
そして、春休みにカナダの高校生が高岡にやって来るが
その時のパートナーのプロフィールが1月頃に配られた。
どうやら、カナダでの俺のパートナーはこっちには来ないらしい。
多くの人のパートナーは向こうでもこっちでも同じなのだが・・・。
しかも向こうのパートナーのプロフィールとは違って、今回配られたプロフィールには写真がついている。
パートナーが同じ人にとっては楽しみな写真だったが、俺はなんか違う。
しばらく「日本でのパートナー未定」の状態が続いていたのだが
カナダの高校生で一人余っている人がいて、その人がパートナーに決定した。
だが、その人は白黒写真という小さな枠の中でも、「大きな体」だということが分かるような人だった。
(「家に入れるのか?」「風呂に入ったらあふれるんとちゃう?」と思ってしまうような・・・)
肝心のプロフィールを読んでみると、1歳年上(俺は早生まれなので実際は2歳上)で
しかも喘息やアレルギーなどの持病を持っているらしい。
なんだか食事などに気をつけなければならないな・・・。
ただ、ギターが弾けるということなので、「いい人じゃん!」と思って喜んで受け入れることにした。
劣等感と確かなる自信
「自分を変えたい!」と思ってカナダホームステイ参加を決意した。
しかし、準備を進めていった約4ヶ月間、「やっぱり変われないな」と思うことがほどんどだった。
自分は昔から何かと周りより劣っているような奴で、「劣等感」と共に人生を過ごし
そして今では「被害妄想」との戦いが続いている。
というわけで、そんな自分にこのようなことが起こるのは当たり前と言えば当たり前なのだが・・・。
英会話教室でも、一人だけ日本語を喋ってみたりなど、英語力が明らかに劣っていた。
そりゃそうだ。11人の中では一番成績が劣っているのだから。
そして、いつものように根拠のない被害妄想で勝手に苦しむ。
特に、女不信なので、「コイツら絶対俺のことキモいと思っている」といういつものやつが出る。
さらに、「『なんだよコイツ』と思われている」などの被害妄想もいつもと同じ。
一応、ジョークなどを言って皆を笑わせたりしたこともあったが
それでもこういった被害妄想が出てくるとなると、ちょっとおかしいのか
それともやはり妄想は当たっているのか。
また、家で荷物の準備などをしている時も、親に怒られたりして自信を失っていた。
これらのことが重なり、「自分みたいな奴がカナダに行ったとしても変われるはずがない」と思うようになった。
そう、俺は今まで自分勝手に生きて、人の苦しみさえも知らずに生きて
取り返しのつかない大失敗を犯してきた男なのだ。
今更「変わろう」なんて思っても、もはや更生不可能なのである。
本当ならば、ウハウハカナダなんかに行ってはいけないような人間なのかもしれない。
今だって、過去の大失敗がなかったかのようにウハウハ生きているんだから・・・。
ただ、ここでやめる勇気もないような、情けない奴。
「行くと決めたからには、行くしかない」
結局はこうなるしかなかった。
そんな時、確かな自信になるような出来事が起きた。
カナダメンバーの男子の代表に選ばれたのである。
これはメンバーの男子が一番多いうちのクラスからじゃんけんで選ばれたもので
実質の男子リーダーはあのK君だったが・・・。
(内心、代表になりたくてじゃんけんでわざと負けたという部分もある)
そして、何故か分からないが、出発前日に行われる理事長室での出発挨拶と
出発当日に高岡駅で行われる出発式にて、11人を代表して挨拶することになった。
もっとも、活動中は11人全員にいろんな役割が回ってくるそうで、それが一足先に回ってきただけ。
つまり、カナダに行ってからは仕事がないということだが・・・。
しかし、このような大きな役割が回ってきただけで十分だと思っていた。
ただ、ここで問題になるのは、挨拶の文章。
挨拶の文章は自分で考えなければならない。
最近になって文章能力が上がったとはいえ、元々こういう文章は苦手。
それでもなんとか理事長室での挨拶の前日に無理矢理完成させたのだが・・・。
3月6日。出発前日。
春の特別講習で8時から学校に来ていたが、一番初めの授業は自習となった。
次の休み時間に理事長室に行くということで、ものすごく緊張していた自習時間だった。
挨拶の文章は完成しているとは言え、まだS先生にもY先生にも見せていない。
もし自分の書いた文章に不適切な表現などがあったりしたらどうしよう。
とりあえず担任には見せたが、「あんたいい文章書くねぇ」と呑気なことを・・・。
結局、直前まで誰にも見てもらえないままだった。
多分、理事長室の前でS先生とY先生に会うだろうから、その時に見せればいいと思っていた。
しかし、授業終了後、理事長室に到着した途端、Y先生が「入って」との指示を出した。
ちょっと、まだ文章見せてないよ・・・。
結局、昨日無理矢理完成させた挨拶文が誰の目にも通らないまま、本番を迎えることとなった。
もう、こうなったらそのまま読むしかない。
理事長室で11人が並び、理事長先生と対面。理事長先生の隣には校長先生がいらっしゃる。
そんな状況で、独りよがりの文章を読むのも相当な度胸が必要だった。
そう思っているうちにその時を迎え、昨日書いた文章をそのまま読んだ。
俺の文章に、何か問題はなかったかな・・・。
挨拶を終えた後、周囲に特に変わった様子はなかったが・・・。
とりあえず終えたので一安心し、理事長先生のお話を聞いた。
「日本は水平線が見えるけど、カナダは大陸だから地平線が見える」など
理事長先生が実際にカナダを訪問された時の話などを聞き、明日からのわくわく感が高まってきた。
こうして、約5分程度の出発の挨拶が終了した。
理事長室を退室した後、S先生に「良かったよ」と言って頂いた。
そうか。俺の文章に問題はなかったのか。むしろ素晴らしかったのか。
そう思ってものすごく安心し、教室へと戻った。
この日の帰り際、S先生にあることを告げられた。
----- 明日の出発式に、新聞社の取材が来る ----- ということ。
もしかしたら来るかな?とは思っていたが、本当に来るとは・・・。
しかも、出発式でも11人の代表として挨拶を述べるので、明後日の新聞に名前が載るかもしれない。
「うわ、どうしよう・・・」と思いながらも、内心喜びにあふれていた。
俺はそういう奴だ。
とにかく、明日は今日読んだ文章をちょっと編集したものを読めばいい。
編集というのは、間もなく出発するというのに「私たち11名は明日から11日間・・・」とか言ったら・・・という感じ。
編集しても間違えて言ってしまいそうという心配は多少あったが
今日この文章を認めてもらったわけだから、何の心配なく読めばいい。
今日あれだけの緊張をこらえたんだから、明日も大丈夫!
いよいよ明日が出発だ。
スーツケースは既に関西空港に送ってある。
あとはパスポートや海外保険証書などの貴重品や手荷物の確認だけ。
今夜はゆっくり眠らなければならなかったが、いよいよだと思うとなかなか眠れなかった。
とにかく、高岡、そして日本とはしばらくお別れ。
日本にいるうちにやっておきたいことを考えたが、なかなか浮かばなかった。
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