1日目 3月7日(金) 「出発、長い一日、ホームステイ開始」





日程

11:00 高岡駅集合
11:10 出発式
11:23 高岡駅出発、JRで新大阪駅へ
14:32 新大阪駅着、乗り換え
14:45 新大阪駅出発、JRで関西国際空港へ
15:32 関西国際空港着、チェックイン
18:45 関西国際空港出発、飛行機でバンクーバーへ
   ----- 日付変更線通過(時差17時間) -----
11:10 バンクーバー着、入国審査後休憩
14:10 バンクーバー出発、飛行機でサスカトゥーンへ
   ----- (時差2時間)-----
18:05 サスカトゥーン着、ホームステイ開始

※ バンクーバーと日本の時差は「16時間」としていましたが、正しくは「17時間」でした。
  お詫びして訂正いたします。
  また、それに伴って本文も一部訂正させていただきました。
  なお、サマータイム時の時差は16時間です。





ついにこの日がやって来た

旅立ち・・・

電車の旅

空港にて

長い長い「旅」の始まり

異国の地へ・・・

入国時のピンチ

ホームステイ開始で早くも不安





ついにこの日がやって来た


前の日の夜、13人はどんな気持ちで眠りについたのだろう。

そして、この日の朝、13人はどんな気持ちで朝を迎えたのだろう。



ついにこの日がやって来た、2008年3月7日。

いよいよ、出発だ。





11時に高岡駅集合ということで、いつもより余裕を持った目覚めだった。

余裕を持てるような状況でもなかったが、昨日までは8時に登校だったから・・・。

家族はとりあえず仕事に行ったりして、2時間ほど一人になった。

その2時間の間にパソコンをしていたりしたが、その他身の回りの準備や心の整理など、いろいろ大変だった。



10時30分すぎに母親が帰ってきて、いろいろ準備してから家を出発した。

今度この家に帰ってくるのは、多分10日後の夜だろう。



車の中からいろんな景色を見ていた。

そのほとんど、いや全てが見慣れた景色だった。

見慣れた高岡の景色も、しばらく見られないんだな・・・。

いろいろ思って寂しい気持ちになったが、でも二度と帰って来ないわけではない。

わずか10日後にはまた戻ってくるんだよ。

何「永遠の別れ」みたいなことを思っているんだろう。

確かに、旅行中に何が起こるか分からない。

飛行機が落ちるかもしれない。カナダで何かトラブルに巻き込まれるかもしれない。

バンクーバーで泊まるホテルが火事になるかもしれない。

本当に運の悪い時は、行きの電車か帰りのバスで事故に遭うかもしれない。

だけど、そんなことを心配していたら、こんな素晴らしい旅行には参加できない。

いろんな覚悟を決めて参加をしているんだ。今更そんなことを考えてはいけない。



高岡駅は家から近いので、10分ほどで到着したが

駐車場で少し手間取り、しかもその時に緊張も重なって酔ってしまい・・・。



いろいろあったけど、もうすぐ出発だ。






旅立ち・・・


11時の集合に1分ほど遅れてしまった。

こんな大事な日に遅刻するとは、人間として駄目である。

しかし、大した遅刻ではないから怒られはしなかったが・・・。



そこにはいろんな人がいた。

メンバーとその家族、そしていろんな先生。

いろんな人が見送りに来たんだな・・・。

うちの担任もいたが、俺が来た後、「授業があるから」と言って帰ってしまった。

多分、顔だけは見て行きたかったのだろう。



「いよいよだな」みたいな会話をしていた時、Y先生に話しかけられた。

どうやら親も一緒に聞いて欲しい話のようで、近くにいたうちの親を呼んだ。

カナダの高校生が高岡に来る時のパートナーの予定となっていた人が

病気で入院してしまい、日本に来られなくなってしまったという。

あの体の大きい人か・・・。

そういえば、喘息やアレルギーなどの持病を持っているとプロフィールに書いてあった。

やはり、体の弱い人なのかもしれない。

ものすごく楽しみにしていたのだが、非常に残念に思った。

そして、新しいパートナーだが、某男のパートナーを期間の半分だけ受け入れることになりそうだ。

俺も親も、某男もそれで了承した。



しばらくした後、「出発式を始める」と言われた。

改札前の広いところに、11人が並んだ。

昨日言われたとおり新聞社が来ていて、記者らしき人がY先生に代表の生徒の名前を聞いていた。

Y先生は下の名前の漢字が分からなかったそうで、直接俺に聞いた。

やっぱり、新聞に名前が載るんだな・・・。



出発式。

校長先生が挨拶をされて、代表である俺が昨日とほぼ同じ挨拶文を言って・・・。

短い式を終えた。

挨拶に関しては、後で他のメンバーに「昨日と同じやん!」とつっこまれた。



この出発式にかんする記事が、翌3月8日の富山新聞朝刊に掲載された。

俺の名前も、俺が挨拶しているところの写真も、しっかり載っていた・・・。



式を終えれば、あとはホームへと向かい、電車を待つだけ。

いよいよ俺たちはカナダへと出発するんだ。

ホームには見送りの家族や先生などもやって来た。

そこで、実質リーダーであるK君が、とある先生から封筒をもらっていた。

「担任の先生から」というものらしい。

典型的いじられキャラの彼は、その封筒を勝手に開けられ、入っていた手紙を声に出して読まれてしまった。

その手紙は、「見送りに来られなくてゴメンね」というような内容から始まり

まさに遠い旅に出る息子にあてたような文章で書かれていた。

さらに、封筒の中には5,000円札と何やら小さなパッケージのような紙が入っている。

だが、ここで樋口一葉がデザインされた5,000円札なんかもらってもカナダでは使えない。

そしてパッケージに関しては、「できれば、そこに入っているものと同じリップクリームを買ってきて欲しいな」と・・・。

そう、その小さな紙は先生が欲しいリップクリームの箱で、見本のように入れられていたのだ。

遠回しの文章ではあるが、要するにおつかいを頼んでいるということで・・・。



ホームではこのようにいろいろ面白いことがあったが、とうとう電車が来てしまった。

サンダーバード大阪行き、11時23分発。

たくさんの人に見送られながら、13人はこの電車に乗った。

しばらくは彼等に会えない。

しばらくは高岡には戻って来られない。

それでも、元気に帰ってくるから、心配しないでください。



それでは、カナダの旅に行ってまいります。






電車の旅


11時23分、高岡駅出発。

北陸本線を西に向かい、大阪へと走る電車に乗っている。

11人のメンバーは、電車内で会話をしたり、音楽を聴いたり、トランプをしたりしていた。

そんな中、俺は右側の席で景色を楽しんでいた。

旅となると、隣に座る奴が可哀想になるほど、景色をアツく語る。

ましてや、高岡〜大阪の景色を一気に楽しめるわけだから、アツくならずにはいられなかった。



出発してからしばらくは見慣れた景色が続いたが

次の停車駅である金沢を過ぎると、ほとんど知らない景色が続く。

何度も通っているはずだが、覚えていない。

いつもならこういう時には地図を持ってきたりするが、今回は荷物が多いため持ってこなかった。

仕方ないが、分からないところだからこそ感動するところだってたくさんある。

金沢以降もそう思って景色を楽しむことにした。



金沢以降は小松、加賀温泉などで停車。

さらに福井県に入って、福井駅や敦賀駅など数駅で停車した。

敦賀を過ぎると、次の停車駅は京都駅になる。

その敦賀〜京都間には、見どころがたくさんあるのだ。

まず、敦賀を過ぎた後にある線路の一周回り。

山の多い日本では各地で見られるが、そのうちのひとつが敦賀の山越えである。

急な山を登るために、一周回りながら徐々に登っていくというやつだ。

そんなわけで、「さっき通った場所が見える」という状況が発生するのである。

そして、一番の見どころはやはり湖西線から見える琵琶湖だろう。

残念ながら右側の席に座っていたため、反対側の窓越しにしか見えなかったが

北陸から大阪方面へ行く際の大きな目印となっていて、遠目からでもその景色には魅了されたのであった。

そういえば、中学3年の時の修学旅行でも、このルートを通って広島まで行ったっけな。

その時も右側の席で、しかも雨が降って景色が良くなかった。

その結果、琵琶湖が全く見えなかったし、もし左側の席に座っていたとしても、感動はしなかっただろう。

今回も右側の席ではあったが、中3の時のリベンジとなったかもしれない。



京都あたりで昼食をとることにしたが、そこは電車の中。

とうとう乗り物酔いがやって来て、とても食事をとれる状況にはなかった。

それでも少しずつ食べて、なんとか完食をした。



こうして14時32分、新大阪駅に到着。

すぐに次のホームへと歩いてから、その後僅かな時間でトイレ休憩をとった。

そして、関西国際空港へと向かう14時45分の電車に乗った。

さっきまで乗っていた特急電車よりは小さな電車で、人も少なかった。

とは言っても「はるか」という立派な特急なのだが・・・。



地図を持っていないからどういうルートなのかは分からない。

ただ、全く知らない景色を見て感動するだけ。

もうここまで来ると通ったこともないわけだから・・・。

いや、もしかすると通ったかもしれない。

そういえば、昔関西国際空港に行ったことがあったはずだ。

だが、行ったことは覚えていても、周りの景色など殆ど覚えていない。

だから、今回が初めてのようなものだろう。



出発してしばらくすると、ものすごい景色が現れた。

高層ビルだらけの、都会的な風景。

それを見たメンバーの多くが騒ぎ出した。

しかし、俺は全く騒がなかったし、そもそも驚きもしなかった。

もしここで騒いでしまえば、田舎者だということになってしまうから。

それに、大都市なんだからこれぐらい当たり前だろうと思っていたから。

とにかく、感動することの少ない性格で、この程度のことでは感動などしなかった。

これからの11日間、カナダで数々の感動を待っていることも知らなくて・・・。



日本に帰ってきてから調べたが、新大阪〜関西国際空港間は途中で大阪の中心部に突入していた。

どうりでねぇ・・・。



また、空港がどこにあるのかも知らなくて、突然周りが海になった時はさすがに驚いた。

海のど真ん中にあるのだから、当たり前なのに。

こうして海の上を通った後、15時32分、空港に到着した。






空港にて


空港に着いてから出発までは3時間以上も時間がある。

一行はしばらく歩いてから、一昨日預けたスーツケースと対面し

荷物を確認したり、一昨日までに入れ忘れた荷物を入れたりした。

空港のスーツケースの扱いが悪く、運悪く破損して使えない状態になってしまい

空港からスーツケースを借りなければならない人も出てきた。

俺のスーツケースも少々傷がついていたが、大したものではなかった。

この時に、持っている金属品や液体なども入れた。

手荷物に金属品や規程の量以上の液体を持っていると、厳しい荷物検査に引っかかってしまうからだ。

財布やカメラなどの機械、ベルトなどは仕方がないが

金属でできた筆箱、カナダの金貨がつけられたネックレスなどは念のためスーツケースに入れるしかなかった。



そして、この間、親に「電話しろ」と言われていたので電話した。

おそらく、多くのメンバーがこの時間に家族への電話を行っただろう。

また、日本に残る友達へのメールなども行っていた。

向こうに行ってしまえば携帯電話が使えなくなってしまう人がほとんどだ。

だから、携帯電話でできることは今のうちにしておいた。



16時45分頃、荷物のチェックも終わり、その場を出発した。

まず、スーツケースを再び預けた。

その時にパスポートを見せ、飛行機のチケットなどをもらった。

また、スーツケースの重量を量り、ベルトコンベアに荷物が流されていく様子が面白く

「お前荷物になって行ってみろよ」みたいな冗談が飛び交った。



それを終えた後、しばらく休憩してからいよいよあれを迎えた。

そう、手荷物検査&ボディチェックである。

テレビなどでよく見かける、長方形の枠の中を通過するあれだ。

金属があると、反応してしまう。

また、手荷物を通す枠もあり、それも金属や液体が見つかると反応する。

危ないものは何一つ持っていなくても、何故か緊張してしまう場所だ。



その場所に並んでいた時、そこにあったゴミ箱を見たが

ほとんど飲んでいないジュースなど、様々な液体類が捨ててあった。

強制的に捨てられたのか。もったいない・・・。

でも、俺はそのようなものは一切持っていない。大丈夫だ。



その場所の直前まで来ると、3つほどの列に分かれ、いよいよ本番。

まず、かごの中に上着や財布などを入れ、カバンと一緒に手荷物を通す枠に通す。

しかし、その時に「ベルトって反応するのかな・・・」という疑問にぶち当たった。

仕方がないので、俺の列の先頭にいたK君がベルトを着用したまま長方形の枠を通過したところ・・・

残念ながら、反応してしまった。

実験台になってくれてありがとう!

それを見た後ろの奴等はベルトをはずしてかごに入れ、次々と一発合格していった。



いろいろありながらもほぼ全員が通過したが

残念なことに誰か一人を待っている状況になってしまった。

S先生・・・

そういえば先程の休憩でも「S先生待ち」という状況が起こっていた・・・。

どうやらS先生は最後尾にいた上に、靴についている金具が反応したらしく

靴下になってやっと通過できたみたいだ。

引率教諭は大変重要な役目で、集団登校の班長と副班長みたいに

先頭に立って引っ張る人と、殿から見守る人にならなければならない。

10年前にカナダに行った経験があり、英語も得意なY先生が当然引っ張る役になって

そして大人の男として、メンバーたちを見守る役目をS先生は引き受けている。

S先生はその役目をしっかり果たしているわけだ。

我々はそれを感謝しなければならない。



出国に必要な全ての過程を終え、一応日本にはいるのだが出国扱いとなったらしい。

とは言え、出発まではまだ時間があるので、一行は免税店を巡ることにした。

検査の段階での液体の持ち込みは禁止されているが、ここに来ればいくらでも購入していいみたいだ。

だが、正直そんな余裕はなかった。

また、アクセサリーなどを売っている店では、サングラスを試着したりして楽しんだ。

この間にトイレ休憩も行われた。

最初は皆と一緒にアクセサリーの店などを回っていたりしたが

トイレ休憩をしたあたりから孤独になっていた。

どうやら、早くも疲れているみたいで・・・。

しかし、疲れるのはこれから。

約8時間以上も飛行機に乗らなければならないのだ。






長い長い「旅」の始まり


約10年ぶりの飛行機に挑んだ。

そして、いよいよ生まれて初めての海外である。

今更だが、ものすごくわくわくしていた。



飛行機に乗りこんだ後、しばらく歩いた。

その時、何やら広々としていてリクライニングのような席の横を通過した。

もしかして、ここに座れるのか?

少なからずそういう期待をした人もいただろう。

しかし、我々が座るのは当然、エコノミークラスである。



我々が座るエコノミークラスの席に到着したが

俺の席が運悪く、先生2人の隣なのである。

長時間の飛行機となると、いろんな会話をしたりして時間を楽しみたい。

しかし、先生と会話を楽しめと言われても・・・。

それに、先生たちは何かと忙しくて喋る暇もないと思う。

8時間以上もほぼ無言で過ごさなければならないのか・・・。

まあいいや。どうせメンバーの誰かが隣にいても同じだろうから。

しかも窓際の席ではないので景色も楽しめない。

あゝ、この長時間をどう過ごしたらいいのやら。



こうして席に座り、座席やその周辺にあるものを眺めたり

乗員の方による安全説明を聞いたりして、出発を待っていた。

時刻は既に19時を回っている。

出発予定時刻は18時45分なので、少々遅れているようだ。

いつ出発するのかな・・・。



それからしばらく経ってから飛行機は動き出したが

速度が遅く、動き出してから離陸までは結構時間がかかるものだ。

いつ出発するのかな・・・。

遅い速度で動いていたのは5分くらいだったかな?それよりも短かったかもしれないが。

それくらいの時間が経過すると、突然飛行機のスピードが上がった。

「いよいよか?」と思わされるこの動きだが、それから離陸までも1分以上はあったと思う。

その頃になると、わくわく感よりも「離陸に失敗したらどうしよう」という勝手な不安がこみ上げてきた。

いつ離陸するか分からないということも、不安を大きくさせていたのかもしれない。

なんと言っても、飛行機は約10年ぶりなんだから。



そしていよいよ、離陸の瞬間がやってきた。

離陸の瞬間は、なんだか変な感じだった。

無重力か?いや、当然だが無重力ではない。

無重力なら、シートベルトで体が固定されていても体が浮き始める。

それに、置いてあるものが浮くはずだし・・・。

だが、なんとなく宙に浮くような、そんな感じがしたのだ。

乗り物酔いがひどい俺にとっては嫌な感じなのかな・・・と思っていたが

結構面白い気がした。



とにかく、我々の乗る飛行機は飛び立ったのだ。

これからが本当の旅である。

出発の時間は少々遅れたが、今は夜。

だが、到着するのは今日の午前中だ。

今日はとにかくいろんな意味で長い一日になりそうだ。



遠い窓から大阪の夜景が見えた。

とても綺麗な夜景だった。

これがカナダへと旅立つ前に見た、日本での最後の景色だった。






異国の地へ・・・


飛行機が飛び立ってからすぐに時計の時刻を設定し直した。

日付は変えずに、時刻だけを「19時」から「2時」に変える。

バンクーバーとの時差は17時間。

この時間、バンクーバーでは今日の未明ということだ。

出発してからすぐに時刻を変えれば、時差ボケにならないとか。

本当なのかどうかは知らないが・・・。



さて、出発前からずっと思っていたのだが、この長い時間をどう過ごそうか。

目の前にはモニターがあり、それを操作すればいろいろできるらしい。

だが、それには英語とフランス語の表示しかなく、日本語は全く対応していない。

とはいえ、ある程度の英語は知っているので、操作の段階ではなんとか分かる部分も多かったのだが

ニュースを見ようと思ってもさすがにニュースを理解できるほどの英語力はないし

映画を見ようと思っても興味のある映画などほとんどないし

ゲームをしようと思っても画面が全く表示されない。

もうやめた。使えない。

この時間はただボーっとするか、考え事するか、寝るか、音楽聴くか、どれかにしよう。

エコノミークラス症候群を避けるためにやわらかいスリッパに履き替え

度々足首を回しながら、持ってきたアイマスクで視界を遮って寝ようか。

飛行機で十分寝ておかないと時差ボケになってしまう。

だが、寝ようと思って眠れるような奴ではない。

やっぱりボーっとするのが一番か?



そんな時、隣にいたY先生に話しかけられた。

「出発式の挨拶が書いてある紙貸してくれない?」と。

Y先生は、カナダ・サスカトゥーン市の学校での挨拶を考えている最中で

どうやら出発式の挨拶の文章を参考にしたいらしい。

まさか、あの独りよがりの文章がこういうことにも使われるとは・・・。

また、Y先生はその挨拶でうちの学校のホームステイプログラムの歴史について話したいらしいが

その時にとあることに気がついたようだ。

「このプログラムが始まったのって、あんたたちの生まれた頃じゃない?」



この交換ホームステイプログラムは、1990年にうちの学校とサスカトゥーン市教育委員会が協議開始し

1991年度の3学期にカナダ一行第一回日本訪問と、日本一行第一回カナダ訪問が行われた。

そして1991年度(1991年4月〜1992年3月)は、ちょうど我々11人が生まれた年である。

しかも、カナダ一行第一回日本訪問は1992年2月。

俺が生まれたのも1992年2月で、ドンピシャリ。

(正確に言えば、第一回訪問よりも俺の誕生の方が数日遅い。その前に俺の誕生はあまり関係のない話)

それを知ったY先生は、「よっしゃ!」という感じでこれを挨拶のネタにとり入れることにした。



出発してから1時間くらいが経過した頃だっただろうか。この時に機内食が出された。

機内には日本人の乗員とカナダ人の乗員がいて

自分のところに日本人の乗員さんがやって来た時には「ラッキー」と思った。

だが、時にカナダ人の乗員さんがやって来ることもあり

その時はY先生にフォローしてもらった。



食事もとって、とは言ってもほとんど食べていないが、そろそろ眠くなる頃。

隣の先生方は・・・ワインを飲んでいるではないか。

どうやら「寝酒」と称した少なめの酒らしい。

しかし・・・コーヒーまで飲んでいる。

寝酒と一緒にコーヒーを飲むなんて・・・。



じゃあ俺も音楽でも聴きながら寝ることにするかな。

時代は流れ、MDも時代遅れと言われるようになったが、俺はMDが基本。

持ってきたMDはコブクロ4枚と小田和正2枚ってとこか。

この中から気が向いたものを選んで聴くことにした。



どれだけ寝たのか覚えていないが、そんなに長いことは寝なかったと思う。

機内は消灯しており、周りもほとんど寝ていて、起きてはそんな状況をボーっと見ていたりした。

そして気がついたら外は明るく、2度目の機内食の時間がやってきていた。

今度は・・・カナダ人の乗員さんだった。

なんて運が悪いのだろう・・・。

しかし、これから異国の地で異国の人たちと交流する奴が何を言っている。

これくらいの英会話がこなせなければ、今後何もできない。

先程の機内食でもそうだったが、やるしかないんだよ。



戸惑いながらも英語で話し、コミュニケーションをとることができた。

「Thank you」と言った後に返ってくる「You're welcome」がとても気持ちよく思えた。

俺の英語が通じている。俺は異国の人とコミュニケーションをとっている。

そう思うと、ものすごくいい気分になった。





いよいよ着陸を迎える。

だが、その頃には睡魔がひどく、ところどころ記憶がない。

そんな時に着陸を迎えたものだから、当然目が覚めるだろう。

「ドン」という音と共に、少々揺れるわけだから・・・。

それにしても、とうとう到着したんだよ。

今俺は、遠いカナダの地にいる。

ただ、まだ飛行機の中なのであまり実感がないが、間違いなく異国の地にいる。

そう思うと、「よくここまで来たもんだな・・・」としみじみ感じるしかなかった。



滑走路を走っていた飛行機はやがて止まり、バンクーバーの空港に到着した。

出発は少々遅れたが、到着はほぼ時間通りだった。

パスポートなどを準備して飛行機を降り、とうとう入国を迎える。






入国時のピンチ


飛行機から降りると、当然入国審査が行われる。

パスポートなどを持って、入国審査官の人と英語で話さなければならない。

入国審査での英会話は、「旅のしおり」に書いてある。

それを出国前に関西空港で一生懸命練習していた奴がいたが

今こそが本番。しおりを持って挑んだが・・・。

しおりに書いてあったような質問はほとんどなく、思ったより楽に終わった。

さっきまでの緊張は・・・何だったんだ?と思ってしまうほどだった。



そして、荷物検査&ボディーチェックという難関がここでもある。

ベルトの取り忘れで引っかかる奴がまた現れたが

俺はボディーチェックの方は大丈夫だった。

しかし・・・

荷物検査の方で何やら反応が起き、担当の黒人の人が取り上げたカバンは、なんと俺のカバンだった。

え?なんかマズいものでも入っていたっけ?

担当の人が持っている自分のカバンに恐る恐る近づいて、確認しようとすると

その手を阻止され、「This is yours?」と聞かれた。

「Yes」と答え、また確認しようとしたら再び阻止され、中を調べられた。

この時に持っていた飛行機のチケットかなんかも取り上げられた。

既に検査を終えた奴等に「おいお前何持ってきたんだよ」と言われる。

何がなんだか分からず、ただ怖くて凍り付いていたが

カバンを調べ終わった担当の人の表情が変わり

「Are you a Japanese?」と聞かれた時点でちょっと安心した。

どうやら大丈夫のようだ。

結局何に反応したのかは未だに分からない。

携帯電話か、カメラか、MDウォークマンにでも反応したのかな?

そして後になって気がついたが、この時に渡した飛行機のチケットは

何故かK君のものだった。



入国審査と荷物検査、正直どちらが先だったかよく覚えていないが

とにかくこの2つの難関を終え、13人はカナダに入国した。

その後次々とスーツケースをもらったところで、1人の日本人が現れた。

JTBに務めていて、カナダで日本人観光客などを案内する仕事をしている女の人だった。

どうやら7日後バンクーバーツアーをする時にお世話になる方らしい。

「7日後、また元気な姿で会いましょう」と我々に言い、その場を去っていった。



スーツケースを再び預けた後、少々歩き

次に乗る飛行機の乗り場の目の前まで来た。

この場所を集合場所とし、1時間ほど休憩をとるようだ。

周辺にはいろんな店があり、殆どの女子と一部の男子は買い物に行った。

しかし、これまでの長旅で疲れ切った数名の男子は、近くのベンチでぐったりしていた。

特に俺はこの1時間、一度もこの場所を動かなかった。

何もせずに8時間を過ごした後だから、1時間という時間は大したことなかったし

この1時間、空港内を走る面白い乗り物を眺めていて、ものすごく楽しかった。



カナダ時間13時半頃(ここからは全てカナダ時間)、全員が集合し、サスカトゥーン行きの飛行機に乗った。

さすがに国内線なので、先程乗った飛行機よりも小型で

しかも中が狭く、座席の部分になるとものすごく天井が低い。

あんな大きな飛行機に乗った後にこれに乗ると、「ええ?」と思ってしまうだろう。

そして、チケットに書いてある座席を探したのだが、その時に残念なことに気がついてしまう。

隣女子じゃねぇか・・・。

女不信の上、今のところメンバーの女子とは誰とも仲良くない。

それ以上に、こんな男の隣など向こうが嫌がるだろう。

しかし、席が指定されていても、13人の席であれば席の変更は可能らしいので、Y先生と席を交換することにした。

これで一安心だ。



日本での離陸の瞬間がとても面白かったので、今回も離陸の瞬間を楽しんだ。

飛行時間は約2時間。8時間と比べれば大したことはない。

そして、国内の移動とはいえ、カナダは広いので2時間の時差が生じる。

「14時」を2時間進めて「16時」にした。



いよいよ、旅の目的地「サスカトゥーン」へと到着する。






ホームステイ開始で早くも不安


バンクーバーでの着陸時は睡魔に襲われていてほとんど記憶にないが

今回はしっかり起きて着陸を楽しむことにした。

「うおっ」と言いたくなるような衝撃。でもそれが面白かった。



さあ、いよいよやって来たサスカトゥーン。

我々はここで一週間ホームステイをするのである。



そして、既に空港内ではパートナーたちが待っていて

待っている場所に来てしまえば、あとはそれぞれのパートナーにさらわれていくので

13人は間もなく解散ということになる。

それをY先生から聞かされると、「いよいよだ」という気分になって、急に緊張してきた。



空港のエスカレーターを下りると、ついにその時がやって来た。

パートナーたちが我々の名前を書いた紙を持って待っている。

もうその場は大騒ぎになっていた。

パートナーたちには我々の顔写真が行っているので、顔を見てすぐに分かった人もいた。

一部の日本人もパートナーの写真は見ているが、残念ながら俺は見ていないので、見つけるのに苦労した。



それぞれのパートナーと出会って大騒ぎしている中

やっとパートナーを見つけることができた。

予想どおり、アジア系の顔だったというか、「彼は日本人だ」と言われても違和感のないような顔だった。

そのため、勝手な期待をしてしまったが、当然日本語など喋れるわけがない。

英語で自己紹介をされ、そしてパートナーのお母さんもやって来た。

その後、自分も片言の英語で自己紹介をして・・・。



しかし、この時既に無理を感じていた。

ものすごい不安に襲われていた。

もう、どうしたらいいのか分からなかった。



そこにやってきたのは、サスカトゥーンの高校で日本語を教えている日本人の先生。

その場は彼女の助けによってなんとかなったような気がするが

もちろん彼女がパートナーの家についてくるわけではないし

仲間も誰も別々の家に行ってしまう。

この時既に、多くのメンバーがパートナーと一緒に空港を出発していた。

本当にやっていけるのだろうか。今更になって不安になってきた。



そんな時、あのK君のパートナーと思われる人のTシャツの文字に目が入った。

3行に3文字ずつ、横書きで「日本人 彼(心臓マーク)女 募集中」と書かれているではないか。

な、なんというTシャツを着ているのだろう・・・。





先生方とほぼ同時、つまり一番最後に我々も空港を出発した。

外は唇が切れるほど寒いと言われているので、既にリップクリームを塗ってある。

しかし、実際に外に出てみると、確かに寒いがそんなレベルの寒さではなかった。

とは言っても、油断は禁物。特に地面はものすごく凍っているので気をつけよう。



自動車に乗り、パートナーの家まで移動した。

この時点で、早くもカナダと日本の面白い違いを実感した。

自動車は左ハンドルで、道路は右側通行。

日本の右ハンドル左側通行に慣れているので、ものすごく違和感を感じていたが

その面白さにものすごく関心を持っていた。



パートナーの家に到着し、いよいよホームステイ開始。

住宅街の中にある、小さな家だった。

今日から約一週間、お世話になります。



到着してからまず、トイレや部屋など、家の中を紹介してもらった。

一週間俺の部屋として使わせていただくのは、パートナーの部屋。

この間パートナーは違う部屋で寝るらしい。

ご配慮ありがとうございます。

そう思いながら、一週間使わせていただくこの部屋に荷物などを置いた。

そして、到着したらメールをくれと親から言われているため、メールをしなきゃ。

しかし、パートナーからは「家に電話をしますか?」と聞かれている。

電話はできるだけ使わないようにと言われているため、電話は駄目。

だからメールをしようと思っているのだが、どうやって伝えればいいのか分からない。

なんとかパートナーの部屋にあるパソコンを使わせていただいたのだが

その後もどうすればいいのか全く分からない。

この時は自分でいろいろ考えてやっとメールを送れる状況を作り

パートナーのアイディアで日本語のメールを打つことができたので、なんとかなったが・・・。



しばらくした後、夕食をいただいた。

カナダとは言っても、中国系の家庭なので主食は米だったが

日本と米の種類が違い、インディカ米という細長くてパサパサした米だった。

後に他のメンバーは「インディカ米は美味しくない」と言っていたが

俺はそんなに嫌いではなかった。

また、ものすごく大きなハンバーガーが出てきたりしたが

少食の人間にとっては、ちょっと厳しいかもしれない。

この時、パートナーとお母さんと3人で食事を楽しんでいたが

揃って食事をするのはこれで最後になるとは思わなかった。

そして、この家にはお父さんもいるはずなのだが、今はいない。

結局、お父さんの姿を滅多に見ないまま活動を終えるとは・・・。



うちの親から、パートナーの家族に手紙を預かっていたので、それを渡した。

英語が苦手でも、滅茶苦茶に文章を書いてなんとか完成させた手紙だという。

しかし、パートナーのお母さんもそんなに英語は得意ではないらしい。

もちろん、「得意ではない」というレベルは違うと思うが・・・。



この家族は「中国系のカナダ人」だと思っていたが、実は「中国人」なのである。

「外国語」という認識しかなかったので最初は分からなかったが

家族での会話はほとんど中国語だった。

彼等の母国語は中国語なので、英語が得意でないのは当然なのかもしれない。





ホームステイ1日目、早くも不安な気持ちでいっぱいになった。

というか、早くも「帰りたい」という気分になっていた。

その気持ちを日記にもしっかり残していた。

食事の後はしばらくパソコンを使わせてもらい、日本のホームページを見た後

長旅の疲れや時差ボケがあってか、22時に眠りについた。

明日の予定には「8:00 leave for Tunnels of Moose Jaw tour 〜17:00」と書いてあるが

何がなんだかさっぱり分からない。

サスカトゥーン空港でY先生が「明日は遠足」だとか言っていたが・・・。



明日から一体何があるのだろう。

今はとにかく、不安だらけだ。

2日目(3月8日)に続く






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