2日目 3月8日(土) 「ムースジョーのトンネル」





日程

08:00 W高校集合、車に乗ってムースジョーへ移動
10:20頃 ムースジョー到着、ショッピングセンターで早めの昼食
11:00近く ムースジョーのトンネル見学
14:00頃 ムースジョー出発
16:00頃 W高校到着、解散、帰宅
 (時刻は曖昧です)






サスカトゥーンの朝

移動中の出会い

早めの昼食

ムースジョーのトンネル

醒めない酔い





サスカトゥーンの朝


カナダ・サスカトゥーンでの初めての朝を迎えた。

あと6回、同じような朝を迎えるのか・・・。

早くも「帰りたい」という気分になっているため

6日後というのはとても気が遠かった。



今日はどこかへ行くらしいが、どこへ何しに行くのか全く分からない。

とりあえず、8時集合らしいので急がなければ。

そう思って朝食をいただいたのだが、出発時にいろいろと取り乱してしまった。

靴下をはき忘れそうになったり、いろいろ・・・。

もう時間がなく、パートナーも「Hurry up!」と言っている。

しかもそれが日本語の「早く!」に聞こえてきて・・・。

それが「Hurry up!」だったことは日本に帰ってきてから知ったことだ。



お母さんの車に乗せてもらい、出発。

途中で大きな道に入り、川を渡ったが、その時にパートナーが川を指差した。

川が凍っている。

サスカトゥーンは亜寒帯に属し、冬はマイナス十数度の世界だ。

マイナス一桁でも「涼しい」の領域となるらしい。

そんな場所だから、川が凍るのも当然だ。



どこに行くのか分からなかったが、どうやら目的地はパートナーが通う学校らしい。

しかし、それは日本の学校からは考えられないようなすごい施設だった。

日本人の感覚だとどこかの福祉施設か、企業かと思ってしまう。

日本の学校ほどの高さはないのだが、なんだか貫禄のある建物だったのだ。





活動中お世話になったW高校。(3月12日撮影)
短い期間だったが、13人の日本人にとって思い出の詰まった場所となった。




車を降り、パートナーと一緒に歩く。

何をするのか全く分からないので、パートナーについて行かなければ。

学校の中に入り、校舎内のすごさにも感動していたところで日本人発見!

これまで誰も見当たらなかったので不安だったのだが、これで安心できる。

彼も同じく安心したようで、一緒に行くことにしたのだが

どうやらパートナーがいないようだ。

俺が聞く前にその理由を話してくれたのだが、「宿題やるから行かない」とか・・・。

なんじゃそりゃ。

とにかく、サスカトゥーンにいる間、この人のパートナーを見ることはあまりなかったのだ。



校舎内を歩いて、出てきたところは再び外。

何のために校舎に入ったんだ・・・?

そう思ったが、その先を見ると、数台の車が並んでいるその周りにいろんな人が。

そこでもう一人の日本人とそのパートナーに出会った。

また、車の方にはY先生の姿もあり・・・。

これから何をするのだろう?と思っていたが、どうやら車に乗るらしい。

一緒に歩いていた3人と、今出会った2人が同じ車に乗せられることになった。

一体何処に行くんだろう・・・。

他の日本人も行き先を全く知らないようだ。



それでも車は走り出す・・・。






移動中の出会い


左ハンドルの運転席にはここの学校の先生だと思われる女の人がいて

助手席には俺のパートナーが座っている。

一番後ろの席には俺と、車の周辺で出会った日本人とそのパートナーがいて

真ん中の席にパートナーのいない日本人が座っているのだが・・・。

真ん中の席に一人だけ誰だか分からない人が座っている。

誰かのパートナーなのだろうか。



車が出発してしばらくした頃、その誰だか分からない人が我々に話しかけた。

「Welcome to Saskatoon!」

だが、驚いたのはその後だった。

「俺は、K君と同じところにホームステイしているMです」

に、日本語??

しかも上手じゃん・・・。

最初はそういう認識しかなかったが、実はこの人は日本人なのである。

車に乗るまで日本人っぽい素振りは全く見せなかったので、これはちょっとした「ドッキリ」だった。



「分からないことは俺に聞いて」と言う頼もしい日本人M君。

驚いたことに、我々と同い年だという。

なんだか「先輩」と呼びたくなるような貫禄があるので、年上だと思っていた。

特に身長が高いわけでもなく、老け顔というわけでもないが、何やら今風で貫禄があったのだ。

その貫禄に圧倒され、しばらく敬語で喋っていた。

他の2人はタメ口だったというのに・・・。

彼は名古屋の高校生で、1年間の留学でサスカトゥーンに来ているらしい。

今年の1月から始まり、これで2ヶ月が経過。

しかし、あと9ヶ月以上も残っているというので、気が遠いだろうな・・・。

6日後でさえ気が遠いというのに。



そんな彼がサスカトゥーンについていろいろと教えてくれて、とても面白かった。

まず、「ここに来ると味覚が狂う」とか・・・。

サスカトゥーンでは味付けが濃く、彼も2ヶ月過ごして随分味覚が狂ったらしい。

その他、食べる量が多いとか、コーラが甘くないとか、ここの人は何にでもケチャップをかけるとか

「食べ物」に関してのいろいろを教えてもらった。

続いて「習慣」などに関しては、シートベルトについて教えてくれた。

サスカトゥーンでは20年ほど前までは後部座席のシートベルト着用はほとんどしていなかったが

それで大量の交通事故死亡者が出てしまい、現在では後部座席のシートベルト着用率がほぼ100%だとか。

ちなみに、現在の日本も後部座席のシートベルト着用は義務化されたので、着用して下さいね。

また、「思想」に関しては、「紫」はゲイの色らしいということを教えてもらった。

その時彼は紫色が入った靴を履いており、「勘違いされそうだな・・・」と言っていた。

そういえば、似たような話をどこかで聞いたことがある。

そうだ、バンクーバーの話だ・・・。

出発前、「バンクーバーは治安が悪いから気をつけよう」という話をY先生がしていた。

(そのことに関してM君は「バンクーバーとサスカトゥーンの治安はあまり変わらない」と・・・)

「歩道を歩く時は車道側も建物側も歩いてはいけない」など、先生がいろいろ話していたが

その中でも一番印象に残ったのは、「レインボーカラーはゲイの象徴」だという話だった。

レインボーカラーのものを持っていたりすると、そういう人たちに連れ去られるかもしれないとか。

そのため、スーツケースの帯の色を変更せざるを得なかったわけだが・・・。

この話によって「バンクーバー怖いな・・・」というイメージが一気についてしまったが

バンクーバーだけではなく、サスカトゥーンにもそんなものがあるとは・・・。

紫色のものを持ってこなくて良かった。



そんな時、車がとある建物の横で止まった。

止まった後、車を運転している先生とM君が何やら喋っている。

さっきまで日本語で楽しい会話をしていたM君だが、流暢な英語で喋っているではないか・・・。

なんだかかっこいいと思った。

どうやら2ヶ月もいれば自然と流暢な英語が身に付くらしい。

そして、日本での英語の授業ではSだのVだの文法にうるさすぎるが

英語の本場は文法なんてほとんど気にしないそうだ。

おそらくそれはどの言語でも同じことだと思う。

日本語のネイティブスピーカーである我々も、いちいち文法なんか気にして日本語を喋るだろうか。

しかし、外国で行われている日本語の授業では、面倒な文法を学んでいるはず。

それと全く同じことだ。



2人の会話が終わった後、先生だけ車を降りた。

どうやら「私トイレに行きたいんだけど、あなたたちも行く?」みたいな会話だったらしい。

先生が降りた後M君は「お前が行きたいだけだろ。俺らと一緒にするなよ(笑)」と言いまくり

戻って来て再び出発した後も、本人がいる後ろで堂々と

「どっかのババァがトイレなんか行くから・・・」と言いまくっていた。

普通だったらマズいが、この状況なら大丈夫。

なんと言ったって、その先生には日本語が分からないのだから。

たとえ目の前で日本語で文句を言っても問題ないのだ。

まあ人間として少し問題のある行為かもしれないが、今は気にしないことにした。

そういえば、アニメ「ルドルフとイッパイアッテナ」でも同じような状況があったな・・・。

我々と同じようなことをしたルドルフがイッパイアッテナに怒られていたが。



とにかく、頼もしい人が現れたなと思った。

この活動の中で彼はとても役に立つ存在になるだろう。

それにしても・・・

「俺は、K君と同じところにホームステイしているMです」

・・・何故アイツの家にだけ日本人がいるんだよ。

この時車にいた高岡人3人はそう思うしかなかった。



いろんな会話をしながら車は走っているが、その走っているところがすごかった。

一言で言えば、「何もない」。

2車線の道路が延々と続いているだけで、その周りには雪の積もった白い地面しかないのだ。

何かあると言えば、ぽつぽつと木などが存在するだけ。

出発前日、理事長先生が仰有っていたように、地平線が見える。

しかし、それはあまりにも寂しくて・・・。

途中で家を見つけただけで大騒ぎ。

だが、こんなところに家を建てても仕方ないだろうと思ってしまうような場所。

看板があっただけで賑やかに感じてしまう。

そんな場所をもう30分以上も通っているだろうか。

そういえばさっきから景色がほとんど変わっていない。

他のメンバーたちも別の車に乗って同じ場所へと向かっているはずだが

前後に車が見えないので我々は早いのか遅いのか全く分からない。

運転手の先生のトイレ休憩で5分ほどロスしていることは確かだが・・・。

一体、こんなところを通ってどこに行くんだ・・・?

M君も目的地を知らないようで・・・。

もしこんなところで迷子になったりしたら・・・一生帰れないよ?





サスカトゥーン〜ムースジョー間の幹線道路から見える景色。
このような景色が2時間近く続いた。




途中で丘を下って登るようなところがあったが、それを通過すると再び同じ景色。

M君が車のスピードを確かめたところ、時速100kmは出ているという。

そんなに速かったのか・・・。

景色も全く変わらないし、前後に車はないし対向車も滅多に来ないので遅く感じるだけなのか。

しかし、ごくまれに対向車が現れてすれ違う時にはそのスピードの速さを実感させられた。

こうして出発から1時間が過ぎ、1時間半が過ぎ・・・。



もうすぐ2時間になろうかという頃、急に景色が変わった。

大量の看板が現れ、久々に「交差点」というものや「信号」というものを目撃し

しばらくすると街が見えてきた。

やっと目的地にたどり着いたのか?

セブンイレブンなど、いろんな店が並ぶ街だが・・・。

(カナダのセブンイレブンは、コンビニだけではなくガソリンスタンドもついているらしい。)

そして、久々に「左折」というものを行い、到着したのは・・・



どこにでもあるようなショッピングセンターだった。

M君も「こんなところ、どこにでもあるぞ?」と言っていた。

要するに、わざわざこんなに時間をかけてやって来るような場所ではないということ。

だが、我々は今そんな場所の駐車場にいる。

しかも、本当に下車するらしく・・・。



時刻は10時を回っている。

出発は8時すぎだったので、約2時間かけてここまで来たということだ。

しかも時速100kmというスピードだったので、単純計算すると200kmも移動したということになる。

一体我々は何の目的でここまで来たのだろうか。



この土地の遺跡のようなものを見学することが目的だということはこの後知ったことで

この場所が「ムースジョー」という名前だと知ったのは日本に帰ってからだった。

(ムースジョー Moose Jaw:直訳「ヘラジカのあご?」)






早めの昼食


我々は一番遅れているみたいなので、車を降りた後、急いでショッピングセンターに入った。

ショッピングセンター内を歩いていた時に、しばらく離れていたM君が戻ってきて

「今知ったんだけど、ここに来たのは、ここの地下にある遺跡みたいなものを見学するためらしいね」と言った。

「そうなんだ」というような顔をした我々に対し、「もしかして、お前らも今知ったとか?」と・・・。

その通り。

そして、ここに来た目的は、早めの昼食をとるためだという。



店内の、ファーストフード店が近くに並ぶ休憩所ようなところに全員集まり、いくつかのテーブルに分かれて腰掛けた。

そして、それぞれ食べるものを注文しに行くのだが・・・。

ただ一人、注文しに行けずに戸惑っている俺がいた。

英語・・・

そう、注文するには英語を使わなければならないのだ。



他の日本人はほとんど注文を終え、食事を楽しんでいる。

もはや俺だけが取り残された状態となっているのである。

一体どうしたらいいのだろう。

あえて「買わない」という手もある。

しかし、そんなことをしていてはわざわざここまで来た意味がないし

「早めの昼食」という言葉から分かるように、この後食事をとる暇などないというわけだ。

今食べないと、おそらく夜まで食事はないだろう。

さあ、どうする・・・?



結局、パートナーやY先生の助けを少々得て、注文を終えた。

その時に飲み物としてコーラのMサイズを注文したのだが・・・。

先程、K君も同じコーラのMサイズを注文したが

出てきたコーラを見たY先生は「あんた本当にMって言ったの?」と言ったのであった。

そして俺も「M」と言ったはずなのに、明らかにLサイズに見えるものが出てきた。

そう、ここでのMサイズは日本のLサイズとあまり変わらない大きさなのだ。

日本のMサイズと同じものが欲しければ、「S」と言うしかないらしい。

ということは、日本に来たカナダ人は、注文したコーラの小ささに驚くことになるだろう。

ここでも文化の違いを実感させられることとなった。



「同じテーブルにカナダ人と日本人を混同させなさい」と言われているにも関わらず

日本人だけで座っていた一部の男子。

その一方、K君は何故か俺のパートナーと仲良くしている。

まるで俺のパートナーが彼のパートナーに見えるかのように・・・。

本当のパートナーであるはずの自分が未だにコミュニケーションをとれていない状況で

彼とのコミュニケーション能力の差を思い知らされてしまった。



そう、俺はそもそも人付き合いが苦手というか、人付き合いを避けて生きてきた。

多分、これからもそのような人生を歩むだろう。

同じ言語を使う人ともろくにコミュニケーションをとれないような奴が

異なる言語を使う異国の人とコミュニケーションをとるなんて、無理なんだろうな。

カナダに来て2日目、早くも得意のマイナス思考が出ていたのであった。

既に昨日から出ていたが・・・。






ムースジョーのトンネル


早めの昼食を終えた後、再び車に乗り少々移動。

数分でムースジョーの街中に到着し、車を降りた。

車を降りて少し歩いた時に道路を横断したのだが、その時にも日本とカナダの違いを思い知らされた。

カナダ人ドライバーは日本人ドライバーと違って、道路の隅に横断しようとする人がいると、止まってくれるのである。

日本ではよほどいい人でない限り見られない光景である。

カナダ人の心の広さを感じさせる。



こうして到着したのは、商店街に並ぶ小さな建物。

最初は何かのお店かと思っていたが、ここが今日の目的地らしい。

(誰がどう見てもゴージャスな感じのお店だったが・・・)

建物に入ってしばらくは待機して、いろいろ喋っていたりしたが

数分が経った頃、「二つのグループに分けて」と言われ、30人近くいるグループが二手に分かれた。

そして、二つのグループはそれぞれの行き先へと向かって歩き始めた。



我々のグループは建物の奥に行き、階段を下って狭くて暗い空間に入っていった。

女の人が案内をしているのだが、英語が全く分からない。

その上、後ろの扉を突然叩いて大声を出すおじさんが現れたりするなどの余興が加わり

言葉が分からない人間にとっては一種のお化け屋敷のようなところになってしまうのだ。

とにかく、不思議なところだった。



こうして階段を上って先程待機していた場所に戻った。

結局、この場所を見学して感じたことは「面白いなぁ」ということぐらいだった。



再び待機した後、この建物を出てしばらく歩き、今度は違う建物に入った。

そしてまた階段を下って地下のトンネルのような場所に入り・・・。

ここではY先生による日本語訳が入ったので、内容はなんとか分かったが

M君曰く「訳が滅茶苦茶だった」という。



結局この場所は何だったのかというと

今ではよく覚えていないが、1920年代頃に中国人奴隷がこの場所にたくさんやってきて

この地下で生活し、働いていたのだという。

その生活していた場所や働いていた場所がそのまま残されているので

我々はそれを見学するために、長い道のりを通ってこの「ムースジョー」に来たのであった。

結構興味深い話だったが、とにかく今はよく覚えていない・・・。





見学を終えてしばらく歩いた後、車に戻って再びあの長い道のりへ。

行きはM君らと楽しく会話をしていたが、さすがに帰りは皆睡眠モード。

景色を楽しむ主義の俺だが、同じような景色をずっと見ていても仕方がない。

時に動物がいる牧場があったりいろんな景色は現れるが・・・。

結局睡眠モードに入って時々眠ってしまったが、何度目が覚めても景色が同じなのである。

やっぱりカナダは広いんだな・・・。



M君が「ここに来てから洋楽にハマるようになった」と言って、流し始めた洋楽がBGMとなっていた。

BGMと言うよりも子守唄と言った方がふさわしいかもしれないが。

洋楽か・・・。洋楽にはあまり興味を持ったことがない。

「歌は歌詞が重要」だと考えているものだから、言葉が分からないと曲の良さが分からないのである。

しかし、今の日本には歌詞の聴き取りにくい音楽や、ひどい場合では何語を喋っているのか分からない音楽が多い。

さらに、内容の低俗な歌詞や、言葉が滅茶苦茶で何を訴えているのか分からない歌詞もある。

邦楽がこうなってしまうと、音楽というものはもはや終わりかな?

確かこの頃の自分は、音楽というものが理解できなくなってきた頃だったかもしれない。



こうして16時頃、W高校に到着。

パートナーのお母さんの迎えがやって来て、パートナーの家へと帰った。






醒めない酔い


家に帰ると、パソコンを使わせてもらうことがほとんどだった。

遠いカナダの地にいても、インターネットで日本の情報が見られる。

「インターネットで世界が繋がっている」ということを実感する時だった。



特に、趣味である競馬の情報は欠かさずに見ていた。

しかも今は日本時間では日曜日の朝。

土曜日の中央競馬の結果が出ているのだ。

土曜日には中山で「オーシャンステークス」、阪神で「チューリップ賞」という2つの重賞が行われた。

早速JRAのホームページを開き、この2つのレースのリプレイを見た。

少々重たかったが・・・。

オーシャンステークスは人気のサンアディユが出負けし、接戦の末プレミアムボックスが重賞初制覇。

チューリップ賞はエアパスカルが人気のトールポピーやオディールの追撃を振り切っての勝利。

遠い地にいても日本の競馬が分かるということが、ものすごく感激だった。

自分が管理している競馬サイト「当たり目Japan(現あたりめJapan)」を更新できないのは残念だが・・・。

(その「当たり目Japan」も見てみたのだが、残念なことに中国語に文字化けしていた)



一方、パートナーは部屋でクラリネットの練習をしていた。

どうやらクラブ活動でクラリネットを吹いているらしい。

こういう楽器を見るといろいろトラウマが出てきて仕方がないのだが

見たからには自分の封印していた過去を言わずにはいられなくなったので、言った。



「I can play Trumpet.」



そう、俺にはトランペッターという過去があったのだ。

(メンバーの男子にもう1人元トランペッターがいたが・・・)

しかし、もう1年以上吹いていないし、忘れてしまいたい過去になってしまった。

だが、クラリネットの音を聞くと、自然と過去が蘇ってきてしまい・・・。

まあいいや。そんなくだらない過去は関係ない。



この日は一人の夕食となり、また今日も22時に寝た。

電車や飛行機に乗った次の日なので、まだ酔いが醒めなかった。



明日は「Free day」と書かれている。

あと5日、どう頑張ろうか。

3日目(3月9日)に続く






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