「僕と雷と」第2話



―琴原透(1)―









「人生というのは、ほんの一瞬のきらめきみたいなもので、

 いうならば一瞬で視界から去る流れ星にのせた願い事に近いものなんじゃないのかな」

「でもさ、それは私がこの問題が解けないことと何か関係あるのかな」

「大ありさ。梨恵はまだ人生の中でスタート地点に立ったばかりで、わからない問題も当然ある。

 たとえそれがたった三年間の間に詰め込まれたごく一部の勉強だとしてもね」

「でもここまでしか習ってない私にとっては『全ての知識』なわけじゃない」

「まぁ、そうだろうね。でもわからない問題があることはとてもいいことだよ。どれ、見してみろよ」







僕は今、彼女の部屋にいた。

梨恵とは生まれたときから一緒に遊んでいたらしく、家も新興住宅地に二件並べて建てられていた。

僕と彼女が付き合うようになった理由は極々簡単なものだ。

簡潔に言えばじゃんけんでグーがチョキに勝つようなもので、

いずれはこうなるであろうという結果に収まっただけだった。

告白は彼女からで、これも「前から好きだった。付き合って欲しい」

「ああ、僕もそうだった。ありがとう」といったシンプルかつ、猿芝居のようなものだった。

実際、このやり取りは通過儀礼のようなもので

前々から、彼女の家にはたびたび訪ねていたし、通学も去年までは一緒だった。

今年から、僕は高校へ進学し、彼女は受験生の身となった。

つまるところ、僕と彼女は一歳違いの幼馴染から仲良しカップルへと関係を昇華するに至ったわけだ。

それは今年度のはじめ、四月の話だ。

今はもう十二月。受験シーズン真っ盛りで、受験勉強も佳境を迎えていた。

そんな中、彼女は数学の問題集に悪戦苦闘していた。

僕は問題集に丸っこい字を書き込んでいる梨恵をぼーっと眺めながら、真新しい本のページをめくった。







「また、小説買ったの」

問題集から顔をあげて梨恵はあきれた声で言った。

「うん、先週本屋へシャープペンシルの芯を買うついでに面白そうなのがあったからさ。ついつい」

僕は少しばかり顔を緩めてはにかむとまた文章へと視線を移した。

「しかもハードカバー。ったく、透の頭の中が覗きたくなるわ」

そう梨恵は言うと僕にすり寄ってきた。

「ねぇ、この問題が分かんないんだけど」

か細い指が問題集を指す。

「ん、これはこうやって――」







僕はこうして、彼女の彼氏兼家庭教師をほぼ毎晩続けている。

家は近いし、両親は僕たちの交際を認めてくれている。

なので最近だと日付が変わる時間までお邪魔していることもしばしばあった。

しかし、今まで、「間違い」ということは起こったことがなかった。

僕たちは言うならば純潔な交際を続けていたわけだ。

しかし、僕だって男の子だし梨恵と秘め事じみた事をしてみたかった。

それが例えままごとじみた事であってもだ。

だけど僕は梨恵と一つになるきっかけを掴んでいなかった。

それに受験が終わるまでは、と僕の中では半ば諦めていた部分もあった。







「ところでさ」

梨恵は思い出したように言う。

「昨日読んでいた本はもう読み終わったんでしょ」

「そうだね」

「それなりに面白そうだったじゃない。私に貸してくれないかな」

僕は即答した。

「後悔するからやめとけ」

彼女は一瞬驚いたような顔をしてから口を開いた。

「どうして」

「あれはミステリ小説の入門書みたいな物だった。梨恵はこの前に貸した『星降る空に』は面白かったか。

 面白かったならやめとけ。あれは『星降る空に』の劣化版だ」

僕は演説調に一気に言った。

「へー、でも一応透は全部読んだんでしょ。なら私も読むわ。

今まで、透の買った本はほとんど網羅してきたわけだし」

「まぁ、そう言うなら明日にでも持っていくよ。

今日はここらへんで切り上げようか。んじゃ、採点するから問題貸して」

僕は彼女から問題集をふんだくると、赤ペンで採点をする。

回答を見るとミスは殆どないが、少し気になることがあった。

「おい、計算式はしっかり書けよ。減点されるぞ」

「えー、だって面倒じゃない。このぐらい暗算でできるわよ」

梨恵は誇らしげに胸をそらせだ。

「先生はそう思わない。思うとすれば天才的な暗算の才能よりも先に悪魔的なカンニングの才能を疑うぞ。

 テストは採点者の気持ちを考えて書け。昨日も言ったよな、確か」

「でもさー、暗算は私に授けられた天賦の才なわけじゃん。それを無理に奪うのはひどいんじゃないの」

「屁理屈言うな、馬鹿」

採点し終えた問題集を梨恵に返すと、僕は一息つく。そして口を開いた。

「そういえば、土曜日は予定あるのか」

僕の言葉に多少驚いたような素ぶりを見せて彼女は笑って言った。

「ううん。ないよ」

「よし、それじゃあ――」







次の月曜日、僕は薄曇りの朝の駅に立っていた。

その手と首には彼女が選んだ手袋とマフラーがあった。

それを少しだけ誇らしげに、湿りきった空へ掲げてみせた。

第3話へと続く



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