「僕と雷と」第7話
琴原 透(3)
「ねぇ、婦長さん。知ってます?あの、“お情け部屋”の女神の話」
「ああ、あの毎日顔覗かせてる女子高生のこと?」
「そうです!やっぱり、付き合ってるんですかね?!透くんに問い詰めちゃおっかな?」
「ほらほら、あんまりあの子達をからかっちゃ駄目よ」
「えー。別にいいじゃないですかー」
「聞いてないの?彼の角膜はもう―――――」
―――移植しか道はないって。
僕と雷と―7話―
そう聞こえたような気がした。
拭いきれぬ悪寒。寒気。肺の中に氷を詰め込んだみたいに冷える、吐息。
不安でしかたがない。
動かない足、ぐちゃぐちゃな手。
立てもしない、ただ生きるだけの――――
――――そんな生き方。
くやしい。くやしいが、どうすることも出来ない。
正直言って死ぬものかと思っていた。
がむしゃらに梨恵を助けたものの、その瞬間に“生きる”という人間としては唯一、誰もが尊重する事を僕は放棄したのだから。
だからこそ、僕が目を醒ました時、とても意外だった。
まぁ、目は醒めていないのだが、生きている。
代償は大きかったが、放棄した自らの命を、神様に拾ってもらったのだ。
僕の目覚めを待っていたのは、彼女の大きな泣き声だった。
深淵に響くその声は僕を救ってくれた。
結果、僕は彼女を救い、僕は彼女に救われた。今、現在進行系で。
そして僕が三ヶ月程で立ち直れた理由。それは―――
「いやー、まいったね!まさか、彼女連れとはなー!」
「いや、その、すいません」
「いいってことよ!まぁ、ちょっとだけ視姦するだけの話だからよっ」
「ちょ、銀治さん!本気で怒りますよ!」
「ごめんなー。悪ふざけが過ぎたわ!ワハハハ」
愉快そうな声で笑う銀治さんの顔はなんとなくとても健康そうだなぁ、と感じた。
見えたわけではないが、なんとなくそう感じた。
「ところで、透はいつごろここ出るの?」
「どうかなぁ。多分一年はいなきゃいけないんだと思うけど・・・。なんせ、体中の骨がバラバラになっちゃったんだから」
「でも、彼女かばってでしょ?カッコイイじゃんか!知的で冷静っぽいし、透は結構他の人にもモテたっしょ?女にも、男にも、な」
「いや、そんなことないよ。それに、梨恵以外の人なんてあんまり気にしたことなかったし――――」
「ちょ、いきなりのろけは反則でしょー。ほんと勘弁だわー」
「え、いやそんなつもりじゃ―――」
「こうやって、俺をもてあそんで、透は何したいんですかっ!」
「ええ!?いや、そんなつもりじゃ・・・」
「はいはい、そこまでにしときましょうね。透君うろたえてるじゃない」
後ろから聞こえる声に反応する。この声はたぶん、婦長さん。
年配の気さくなおばさんだと梨恵が饒舌に話してたっけ。
僕の状態を見て、二人部屋にしたのもこの婦長さんらしい。
動くこともできない僕にとって、話し相手はとても貴重な存在だった。
その点については、僕は彼女に感謝している。
「そうだ、銀治君。先生が呼んでるわ。ちょっと診察室まで来てくれる?」
「あ、ハイ。わかりました。んじゃ、ちょっといってくるわ」
そう銀治は僕に言い残して、病室から出て行った。
僕は考えた。この状態でも僕にできること、そして、僕がしなければいけないこと。
入院してから、三か月ほどの時間が経っている今、真剣に考えなくてはいけないだろう。
将来のことなんて全く考えたことはなかった。
しかし、病院の有り余るこの時間の流れが、僕に考える機会をくれたのだ。
僕はその一点だけは今回の事故を評価したかった。
そして、その点だけを考えるのならば、婦長さんの評価は減点だろう。
百点満点換算すると、婦長さんの評価は九十八点ほどの点数になるわけだが。
正直、不満などこれっぽっちしかなかったわけだ。
隣人の銀治について考える。
彼がなぜ入院しているのか、聞いたことはない。
きっと、軽い病気――あるいはけがなのだろうが、きっと僕より先にこの病院を退院していくだろう。
入院することによって手に入れたこのつながり。
きっと、神様が僕に唯一残してくれた“情け”というものなのだろう。
窓の外から聞こえるしとしとという雨音を聞きながら、そう思っていた。
第8話へと続く
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