「僕と雷と」第9話



―お情け部屋―









この病院には関係者以外誰も近寄らない病棟がある。

それは、もう助からない患者や、絶望的だと先生が感じた者をおしこむための部屋。

そういう風に、ナースの中では言われていた。

その病室の中で、患者の病状を話すことは決してしてはならない。

それがこの病院の暗黙の了解となっていたのだった。



そもそも、この“お情け部屋”はどうしてできたのだろうか。



そう疑問を投げかける人も少なからずいた。

しかし、そう疑問を提示した人も次第に納得するのだ。何故か。



「婦長さん。お情け部屋についてなんですけど、どうして“救えない患者”専用に使われているんですか?

もっと、臨床数を確保して、“救える患者”を入院させるほうがいいと思うんですが」

「あなたは――、ああ。新人のお医者さんね。

確かにそうだわ。もっと救える命を救ったほうがいい。でも、あなたもわかってるんでしょ」

「はい。確かにモラルの欠けた意見です。しかも、医者としてはとても言ってはいけないことだとも感じます。だけど――――」

「納得できないのでしょ?私もそうだったわ。

でも、いつか気づくわ。この病院は救うところ。でも、救うのは命だけじゃないってことをね」

「救われるのは命だけじゃない……。救われるべきなのは――――」

「さすがに頭は回るのね。お医者さんだもの。

お医者さんが救えるのは患者の命。そして、それ以上のものも救うことができるでしょ?」

「はい、そうですね。私たちが救うべきは患者の命と―――――」





―――院内。“お情け部屋”前廊下。





「私は支えていかなくちゃいけない。透を」

唇をきゅっと結ぶ。

私は決めたんだ。

彼を支えていく。これからも。

たとえ彼の目に永遠に光が差し込まないことになっても。私は一緒に歩いて行く。そう決めたんだ。

病室の扉を開ける。

彼は――

――――いない。



「検査かリハビリかな……」



強張っていた肩からすーっと力が抜けた。

なんだ、緊張していたのか。そんなことさえ見抜けなかったほど頭がいっぱいだったんだろうか。



「そんなつもりじゃないんだけどなー」

「なにが?」

「いや、透にもっと向き合わなきゃ――――え?」

「うぃっす」

「きゃああああああ!!銀治さんいたんですか?!」

「まぁ、俺の病室だし。相部屋だし」

「……っ!まぁ、そうですけど」

「だろー?んで、どうしてそんなこと考えてたの?まさか、関係がこじれたとか?」



まさか、そんなわけないじゃい。

ただ、私が勝手に思いつめちゃって、元気にふるまわなきゃって思うと余計に苦しくなって、

心が苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて!!!



「……いや、違うんです。私が勝手に不安になっちゃって。

その、なんというかこのままでいいのかな?って思ったり、透の体や、目のこととか。これからの私のこととか。

――勝手に不安になったり、彼のことどうしようかとか。

彼が一番不安なのに――私が一番不安みたいに思っちゃって……。ふさぎこんじゃって、透や銀治さんに気を遣わせちゃって。

お見舞いにきて私が一番励まされてて!私は……!透に助けてもらって!なのに――私はさらに負担になってる。

彼に甘えてるの。銀治さんにも、こんな泣き言いっちゃって―――――」

「ふーん。まぁ、よくわかんないけどさ。元気出せよ。しみったれたのはキライだぜ、俺。もっと元気よく行こうぜ。うん」

「そういったって……。私、不安で不安で」

「これからのこと?未来の話か?」

「ええ、来年私と透はどうなっているんだろう?とか――――」

「俺さ、未来の話ってキライなんだよな。虫唾が走るっていうか。見たくないっていうか。

よく友達がやっていたことなんだけどさ、マンガの最終回を予想しよう、ってな。

んで、そのマンガは結構最近完結したんだけど、友達の予想したのと同じでさ、なんか笑っちゃて。

俺は、こんなの読みたかったんじゃかったんだけどなーって。読者をいい意味で裏切ってみろよ!てな。

それから、俺は未来のことを考えるのをやめたんだ。今だけを生きる。俺は、未来は生きないことにしたんだ」



銀治さんが一度息を吸い込む。少し大きめの深呼吸だった。



「だから、梨恵ちゃんもさ、今を頑張って生きてみようよ。透と、たまに俺と」

少しだけ照れたようにはにかむ銀治さんに私は大きく息を吸って返事をした。

「はい。そうですね」



そんなに思いつめる必要はない、未来を考えるな。

不安とか、そんなの頭の隅からも追い出せ、そう彼は言った。

確かにそうだ。彼の言うとおり。先生の言うとおり。

それが、透に対しての私の出来る唯一、そして絶対のことなんだ。



少しだけ、心が晴れた。猫の額みたいな、ほんの少しだけれど、私はそれで随分救われた。

そして、今、笑っていられるのだ。大きめの喜びと、ほんのちょっとの空元気で。





雨の止んだ外では、少しだけ遅咲きのサルビアの花が顔を出していた。

第10話へと続く



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