「僕と雷と」第13話
―桐嶋銀治(2)―
あの男が俺の隣に入院してからかれこれ一か月。
擦り傷や切り傷の包帯はとれ、残りは骨折や打撲、その他諸々だけだ。
それでもまだ体の半分ぐらいなのだが。
しかし、目の包帯だけは一向に外れる気配は無く、未だに目がみえない。
ここに入院になった理由をなんとなく気付き始めた俺と、気付きもせず、希望にすがりつく男女には、はっきりとした温度差があった。
それは希望という熱と、諦めという冷気。
それはもちろん対をなすものであり、両者の気持ちが合致することはそうそうないだろう。
「―――銀治さん聞いてます?」
女のほうの声でふと視線を戻す。
「わり、なんだっけ?」
正直、真剣に耳を傾けたことはそうない。
傾けたのは男のほうの容態と、婦長と男が話していた晩御飯のメニューぐらいだ。
この男女の話を真面目には聞いてはいないが、結論としてはこいつらの愛情というか、信頼。
ソレが今まで見てきたものとは軽く凌駕するものだってこと。
俺が言える立場ではないが、あんなに若いのにしっかりとした、明確な愛情ってやつを捉えている気がする。
不良がするような、性欲に近いような恋愛ではない感じ。
ふと出てきたガラスの愛情じゃない。
信頼関係が積み重なって、それが愛情に昇華した、この年では珍しい愛情。
長年付き合った夫婦のような二人が今、俺の目の前にいる。
それは微笑ましいようだが、俺にとっては吐き気を催す、クソ以下の感情でしかないことは
自分の中では間違いだろうと整理がついていた。
早い話、俺には無理なコトなのだ。
そもそも、俺は長年付き添った連れもいなければ彼女だって一回だけお遊びよろしく付き合っただけだ。
それは勿論性欲に近い恋愛であって、彼らの所謂“純愛”ってやつではなかった。
俺は半年前、余命1年と宣告された身である。
こんな状態からの純愛はテレビや銀幕の中だけだ。
こんな隔離病棟に俺のお姫様がやってくるわけがない。
代わりにやってきたのが、純愛の見本のような二人。
しかも、二人の思い出をベラベラと垂れ流し、俺をいらいらさせていく。
いらいらするのは当然だろ?自分にできないことを見せ付けられるんだから。
―――それが、俺が一番してみたかったってところが、こいつらへの憎しみが二次関数で増長していく理由だ。
俺はできなかったことを平然としてのける二人。
俺自身が、時間があればしたかったことを、俺より若くして完成させた二人。
これから二人分の幸せを分かち合っていくであろう二人。
―――それを見て、惨めになっていく自分をぶん殴ってやりたかった。
嗚呼、神様。どうして俺はこんなにも不幸なんですか?
俺が頑張って受験したあの進学校はなんだったんですか?
最後に受けた中間テストで校内3番を取ったことは?
高校2年生になってやっと手に入れたレギュラーの座は?
全部無意味だったというのですか?
だとしたら、神様。あなたはずいぶん残酷だ。
ええ、残酷だとも!
あと1年で召される俺に、さらにこの仕打ち!!
俺が何かしたのか?
なあ、神様―――――。
「だから、透ったら全然部屋掃除しないんですよー。この前私が行ったら、本が机に積み上がっててビックリしたもんですよ」
「あれはただ本棚が無かっただけだ。あのあと買って、今部屋にあるよ。……まだ組み立ててないけど」
だから、こんな会話にも殺意が湧く。
俺の苦悩を全部ぶつけてやりたいと思う。
全部ぶつけて、俺のことを憐んで、透は生きててよかったね、って目つきで俺をにらませてやりたいと思う。
そうすることがいかに自分の首を絞めていくのか分かっているくせに。
白色を基調とした部屋でじめっとした空気と、彼らのつくる空気によって、気持ちがさらに滅入る。
俺の命の残量は、もう残りわずか。
今まで、怠惰に生きてきた自分は、気がつくと人生の折り返し地点はとうに過ぎ去って、
あと何歩進めば、ゴールなのか。
霧の中にいるようで、自分の位置も分からない。
――――いや、分かり過ぎているんだ。
自分の位置が、刻一刻と明瞭になっていく感じ。
自分が終わるのを自らで理解できる恐ろしさ。
これは、人間が知ってはいけないモノだと俺は考えるようになった。
一日に何人が死んでいるか、俺は知らない。
殺人事件の報道や、新聞の死んだ人間を知らせる記事も何度も見てきた。
しかし、それを読めるのは、俺自身に死ぬという意識が無いからだ。
まず死ぬことがない、という意識下に俺がいることが、自身の安全や安心を生む。
そのことが、人間にとって命より大事なことなのだろう。
「そりゃ、透は掃除しなきゃいけねーな。俺もするほうじゃないけどな」
悲観的に人生を、いや、命を考え始めた俺は、人とどのように接していいのか、分からなくなってきていた。
いつも通り接する。これが一番いいのは分かっているんだ。
だけど、それが俺にとって、必ずしもプラスになるとはどう考えても思えない気もする。
かといって、人とあまり接しない生き方にシフトするのも、やはり、生きている間は毒でしかないだろう。
それが、終わりまでを加速させるかもしれないことが、
俺にとっては最も恐怖する何かであることは何もかもを分かっていない俺にとって、分かり切っているモノのひとつだ。
人生はルマンのような感じだと俺は考え始めた。
――――『ルマン24時間レース』。
――――世界各国の技術者が、最高のギミックを要するレースマシンの耐久力、馬力、速度を競う。
――――ソレはやはり、並大抵のマシンでは参加できない。
――――日本製のマシンでポルシェ、フェラーリ、ジャガー、メルセデスベンツ等の外国製に勝てるような機体はそうはいない。
……まぁ、GT-Rは別なんだけどね。
世界3レースのひとつに区分されるこのレース。
世界で最も過酷とも言われるレースの一つだ。
マシントラブル、ガス欠、その他の事故が起こると即失格。そんなレース。
これを命に例えると、俺の乗るマシンはマシントラブル真っ只中。
もうすぐ停止、このレースから追い出されるだろう。
道からも外れ、フラフラと速度を落としていく。ハンドルは切れる。
―――だが、切れるだけ。
残り進める距離はもう僅か。速度はゆうに100kmを切ってる。
あとは速度を落とし、最終的には停止する。
駆動するためのガソリンはまだ余り、エンジンはまだ熱を帯びている。
しかし、そのモーターは再び回転を始めることはない。
緩やかに回転数を落としていく。
停止を傍観するレーサーはただ冷めたように、その一連の動作をどのように感じればいいのであろうか。
そこまで進むことができたことを喜び、にこやかに退場すべきか。
それとも、ハンドルを切り、最後の最後まで距離を稼ぐ、そんな悪あがきに興じてみるべきか。
それは人次第であって、俺はハンドルを切らない。
それが距離を延ばす為の動作か、それとも逆の動作なのかは置いておいて。
俺は、ハンドルは切らない。
たとえ、それで壁に衝突しようとも、俺を見つめる僅かな観客に嘲笑されようが構わない。
自らの運命はどうもするつもりは、これっぽちもない。
ただ、俺はハンドルを離した手で何をしようか、決めかねているだけなのさ。
楽しそうに会話する二人を眺めながら、俺は何も掴んでない手で、何を掴むか、押し出すのか。
そんな、決まることもないようなことを考えていた。
きっと今の俺の瞳の輝きは、腐敗の一途を辿り、終いには、瞳ごと抜け落ちていくだろう。
婦長が置いていった花瓶が目に入る。
スターチスが挿してある、その螺鈿装飾の花瓶は見事なものだと思う。
だが、この病室には甚だ場違いだとは思うのだが。
俺は、くすりと笑った。
話していた二人が少しだけ、怪訝そうに顔をしかめた。
第14話へと続く
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